第2話「さよなら、大好きだった人」

恋愛・婚活小説

 遠距離になってから、誕生日も記念日も「仕事があるから会えない」とだけ言われた。

 会うときはいつも、あきひろが他の地方への出張のついでにミキの家へ寄るだけ。
 どこかに出かけることもなく、家で過ごして終わる。
 家で過ごしている間、彼は仕事の話ばかりで忙しいのは明らかだった。

 友達に「それってちょっと、セフレみたいじゃない?」と言われた。それでも私は「長年付き合ってる信頼感があるから」と思い込もうとした。


 ミキが30歳になる誕生日のときも、プロポーズはなかった。
 胸の奥に引っかかっていた不安が、その日だけは我慢できなかった。

 「ねぇ、この先どうするの? 本当に結婚するつもりはあるの?」

 少し間を置いて、あきひろは短く答えた。
 「結婚するから、もう少しだけ待ってほしい」

 その言葉に、かすかな安堵と同時に、説明のない“待ち”に対するもやもやが残った。
 それでも信じたい気持ちの方が強くて、私はまた待つことを選んだ。

 けれど、31歳の誕生日も同じだった。
 またもプロポーズはなく、結婚の話を切り出せば、あのときと同じように「もう少し待ってほしい」と返ってきた。

 その年のクリスマスも、何もなかった。


 年が明けた夜、ミキはとうとうスマホを握りしめたまま、迷いながらも文字を打った。
 ──「いつも結婚するって言うけど、口だけなんじゃないの?」

 送信ボタンを押した瞬間、胸がざわついた。
 返事が怖かったわけじゃない。

 この一言で5年半築き上げてきた二人の関係が終わるはずがないと思っていた。
 またいつもみたいに「ごめん、もう少しだけ待って」と。
 そう返事が来て、私はまた待つ選択をするのだと。

 そう思っていた。


 しかし、予想していなかった沈黙が訪れた。
 既読はつかないまま、1日、2日、3日……。

 数日後、電話をかけてみた。
 呼び出し音は鳴る。けれど、出ない。

 ブロックも着信拒否もされていない。
 それがかえって、突き放されたように感じた。


 2週間経つと既読が付いている事に気が付いた。

 「よかった」

 メッセージを見て貰えたことに安堵している自分がいた。

 しかし、日をあけて何度もメッセージを送ったが、返事はなかった。
 結局、そのまま1か月が過ぎた。


 

 そんな中、親戚の法事で実家に帰った。
 仏間に漂う線香の香りと、しんとした空気。

 親族との会話は当たり障りのないものばかりで、あきひろのことは誰にも話せなかった。

 夕方、行事がひと段落すると、母と二人で台所に立った。
 煮物の鍋から立ちのぼる湯気と、まな板を叩く包丁の音。

 私は野菜を切りながら、無意識にため息をついていたらしい。

 いつも実家に帰ればあきひろの話ばかりしていた私。
 それが無いことに母も違和感を感じていたのかもしれない。

 「……あんたには、幸せでいてほしい」

 母は包丁を動かす手を止めず、ぽつりと言った。

 その声は大きくも小さくもなく、ただ真っ直ぐに胸に届いた。
 鍋から漂う醤油の香りが、なぜか少ししょっぱく感じた。

 その瞬間、心の糸がぷつりと切れた。

──私なにやってるんだろう。

 5年半の交際を振り返れば、負担は大きくなり、あきひろに大事にされていない時間が増えていた。

 思い出すのは、付き合い始めた頃の優しいあきひろだけ。
 最近の二人には、楽しい思い出がほとんどなかった。

 毎日メッセージが来ていないか確認している自分がみじめで、彼に執着しているようで、なんだか情けなくなった。

 ──待つのはやめよう。


 東京に戻った夜、ミキはスマホにマッチングアプリをインストールした。

 画面に現れた新しい登録画面は、まるで「次へ進め」と言ってくれているように見えた。

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