ケンゴさんをブロックしたあと、私はすぐにマッチングアプリを開いた。
空いた心の隙間を、誰かのメッセージで埋めたかった。
新しくやり取りを始めたのは、せいじさん。
大手企業の営業をしているという男性で、プロフィール写真はスーツ姿の爽やかな笑顔。
メッセージの文面も丁寧で、最初の印象は悪くなかった。
「イタリアン、お好きですか? 今度ランチでもどうですか?」
そう誘われ、私はすぐにOKの返事をした。
週末、新宿の人気イタリアンレストラン。
休日の昼時で混み合っていたが、せいじさんが予約を取ってくれていたおかげで、スムーズに席に案内された。
細やかな気配りに好印象を抱き、「この人、いいかも」と心の中でつぶやいた。
前菜のカプレーゼを口に運びながら、仕事の話になった。
「薬剤師をしてるんです」と言うと、せいじさんは少し考えるような顔をしてこう聞いた。
「製薬会社と医者って、どっちが偉いんですか?」
一瞬、言葉が止まった。
何を答えたらいいのかわからない。
「そういうのは特にないと思いますよ」と笑って返したが、彼は続けて聞いてきた。
「じゃあ、医者と看護師だったら?」
「薬剤師でも、病院と薬局だとどっちが偉いんですか?」
質問の意味がまるで理解できなかった。
ただ、わかるのは“この人とは合わない”ということだけ。
せっかくの料理の味も、次第にわからなくなっていった。
食事を終えると、彼が言った。
「このあと少し歩きませんか?」
私はすぐに笑顔で断った。
「すみません、このあと予定があって」
駅へ向かう途中、心の中で小さくため息をついた。
なんか、変な人だったな。
帰りの電車の中で、アプリを開き、せいじさんのプロフィールを開いた。
指先が迷うことなく、画面を押す。
——ブロックしますか?
表示された確認文を見て、一拍も置かずに「はい」を選んだ。
またひとつ、知らない人が私の世界から消えていく。
でも、不思議と何も感じなかった。
「次行こ、次」
そうつぶやきながら、新しい通知を開く。
誰かのメッセージが届いていた。
それを見つめる自分の顔が、電車の窓にぼんやりと映っていた。
その目の奥に、少しだけ疲れた色があった。

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